私は2016年からブログを書いていまして
今ではブログアカウントを複数持って、複数の顔を使い分けています。

その当初から一貫して、またすべてのブログで共通するのは
どのブログでもコメント欄を一切解放していませんし
今後もコメント欄をオープンにすることは考えていません。

拡大とトレードオフでも
コメントを受け付けない3つの理由

コメント欄は
読者さんからのフィードバックをいただいたり
思いがけない出会いが生まれる場所です。

コメント欄をクローズすることによって
得られたであろう、読み手の方からの貴重な意見や提案はもちろん
「感動した」「共感した」というポジティブな意見も遮断してしまいますから
機会損失も甚大ですし、モチベーションにもつながりません。
ブログをたくさんの人に拡散する、広める、有名になるという視点では
それに逆行しているとも言えます。

では、その損失と引き換えにしてまでコメントを遮断し続ける理由はなぜか。
書くか迷ったのですが、知りたいという方のために書きたいと思います。

1.批判・誹謗中傷から自分の心を守るため

一言でいうと、メンタルの自己管理です。
わたしは何を隠そう、メンタルがものすごく弱くて
人からの影響を受けやすい性格です。

メンタルは鍛えたり慣れてどうにかなるものではなく、
傷つくものは傷つくし、ムカつくものはムカつきます。
湧き出てきた感情を否定するのは、血を流して痛いと感じているのを無視するようなもので
自分の生存欲求を否定するようなものです。

人が無責任に言った言葉一つでも、
いちいち、もろに傷ついたり頭にきたりしてしまうし
根に持ってしまいます。
一度嫌な気分になってしまうと、なかなか立ち直れません。

ネットによる誹謗中傷が最近話題になりましたが
心無い悪口で自ら死を選んでしまう人はまったく他人事ではなく
自分に刃を向けてしまうであろうことは自分がよくわかっているので
自分を守る予防策として、やりすぎなくらい自衛しています。

いやな気分で仕事をしても
良いことがない

メンタルは自分の問題ではありますが
ひとたび嫌な気分になってしまうと、仕事の質にもいい影響は出ないし
嫌な思いをしてまでお仕事が欲しいとは思いません。

そしてなにより、
嫌な気分のまま立ち直り切れずにイライラしたり、落ち込んだ状態で
(私を好きだと思ってくれている)その他の人と接するのは
申し訳ないし、失礼だと思うんです。

過去に、高圧的な方と取引をして嫌な思いをしたことがあったのですが
その直後に自分のイライラと疲弊が伝わってしまったのか
ぱったりと新規の受注が来なくなってしまったことがありました。

自分の活躍を喜ばない人がいる

また、幼少のころから目立ちたがりゆえ嫌がらせも受けてきたので
わたしが目立つことが面白くない、良い思いをしない人が居るということは、
強烈に学習してきました。

次項にも書きますが、これってあくまで
相手自身のコンプレックスが刺激されてわたしに投げつけられているもの。
他人のコンプレックスをわたしが処理する責務はありません。

ただ一つ言えるのは、人間は手が届きそうな人にしか嫉妬しないということで
そうであれば、手が届かないように、石を投げつけられないように
適切な距離を設けることくらいが自分にできる策なのかなと思っています。

「出る杭は打たれる」を恐れて、少数の嫉妬に狂うアンチに怯えて
死ぬまで委縮して生き続けるより良いのかなと。

わたし自身も、自分より能力の高い人のコンテンツを見ると病むので
極力見ないように、自分に集中するようにしています。

たった一言が1滴の毒になる

極端に言うと、100人に「いいね!」と言われたとしても、
たった一人悪意ある人や心無い人の言葉が、一滴の毒のように強烈に残り
100人からいただいた幸せが台無しになります。
(嫌なことだけ選んで忘れられたら良いのでしょうが、
きっと人間の防衛本能なんでしょうね)

それってまるで
せっかく私のことを応援しているとか、良いと思ってくれている人がいるのに
それをすべて帳消しにして、ネガティブな言動をしてくる人を最優先させたみたいで
なんか悔しいじゃないですか。

だから、たった1滴の負のエネルギーを遮断するために、
心苦しいけれど、ポジティブなフィードバックも含め
すべて一律で受けないと決めているのです。

2.自分の領域で
言葉を好き勝手に排泄されたくない

何度か書いていますが、(この文章もそうですが)
わたしは言葉は排泄物だと思っています。

ただ、ほかの排泄物とたった一つ違うことは、
自分の意志できれいにすることもできるし、凶器にもできるということ。

ほとんどの人はリアルであれネットであれ
「人に言われていやなことは言わないようにしましょう」
「相手の気持ちを考えましょう」を守って、頭の中で咀嚼したうえで発言するでしょうが
中には、自分の言いたいことを好き勝手吐き散らす
モラルの低い、動物のような人っていますよね。
(犬猫のほうが忠誠心があって賢いですから、これは動物に失礼ですね)

むしろ、思いついたまま言葉を発言するならまだ良い方で、
何なら、嫌な気分になるようなことをわざと言ってきたり
何としてでも相手を加害者に仕立て上げて、自分が被害者になろうとしたり
聞き手の苦痛はお構いなしで、自慢話や愚痴、文句をぶつけてきたり…

他人の欲求を吐き出す場所にはしない

人に伝えたい、というより
自分がただしゃべりまくりたいという欲求を抑えきれずに
所構わず好き勝手に言葉を排泄する人が、大嫌いなんです。

接客業や医療職をしていると、そういう自分勝手な人や人の本性は
うんざりするほど露わになりますから、ある意味勉強にもなりましたし
お客さんとの付き合い方を予習する機会にもなったかなと思っています。
(このあたりは語ると長くなるので、
詳しくは「医療職辞めたい」カテゴリに書きますね)

もちろん、病院で困りごとや悩み、弱音などをお話しくださる分には
お仕事の一部として誠意を込めてお聞きするのですが、
医療従事者を召使いかなにかと勘違いして、医療者の誠意を利用して
明らかに怒り狂った感情をこめて愚痴をぶつけてくる人の多いこと…

身銭を切っていない人ほど図々しい

これは大きな声では言えませんが
そういう図々しい人に限って、明言は避けますが
「自分のお金」を払っていない人が圧倒的に多いことにも驚きました。

お金すら他人に負担してもらっているのに、
いやむしろ、彼らにとってはすべて「無料」同然だから分別をつける必要がないのでしょうか。
高級サロンと勘違いしてあれやれこれくれと要求してきたり。

(もちろん、全員がそうではありません。中には謙虚な方も、親切に接して下さる方もいらっしゃいます。
また、自分自身も公的な補助金に何度もお世話になりましたし
人や社会から援助してもらうこと自体を否定したり蔑む気持ちはありません)

ただこれは後述しますが、期待値を過剰に上げて「勘違い」させてしまう
広告宣伝にも落ち度があるとは思っていますけれどね…

サービスの棲み分けを

何もこれは
医療現場に限ったことではないと思っています。

そういう遠慮も感謝もないクレクレには来てほしくないし
「差別」だと非難されようが、わたしは堂々と差別します。
来てもらっても、わたしにメリットはないどころか、いやな気持ちにさせられるだけですから。

そういう、人の努力で成り立っているサービスを
空気や湯水のごとく提供してもらって当たり前と思っているような人、
平気で自分の欲で汚し荒らして去って行く人は
「誰でもお気軽に!」とか「どんな人でもお客様は神様」とか
綺麗ごと言っている偽善者のところに行ってくれればいいんです。
(それはそれで、誰でもウェルカムなんですから
そういう業者さんはお客様が増えて喜ぶことでしょう!これぞWin-Winですね)

おもてなしをタダ売りした末路

某企業の「スマイルゼロ円」広告や、行き過ぎた過剰包装のように
無料で良質なサービスを提供すること・デフォルト化することは
人の善意やホスピタリティを安売り・タダ売りしているに他なりません。

消費者(というか、買ってすらいない)からは過剰な期待を求められるし、
労働者は楽しくも嬉しくもないのに笑顔を強いられ、
本来は有志で善意であるはずの優しさは義務になり
本来提供するもの以外の付加価値をタダで求められる。

人のやさしさやおもてなしは、本来あって当たり前のものではありません。
価値あるはずの日本のおもてなし文化を「ゼロ円」という最低価格に値下げして
さもあって当たり前という認識にしてしまった広告宣伝には怒りすら感じます。

ひとたびどこかの企業がそうしてしまえば、
他の競合企業もそうせざるを得なくなります。
ひとたび地の底に落ちた市場価格を上げるのは簡単ではありません。
結果、ホスピタリティはゼロ円という最安値まで下落するどころか
おまけとして必ずつけることが義務化され、
以降それがデフォルトになってしまったわけです。

あげられるものとあげられないものを明確に線引きする

なんでも無料で他人に差し上げるのが正義みたいな風潮もありますが
命は有限ですし、無料が正義なら資本主義は成り立ちません。
あなたもどこかからお金を受け取って生活を成り立たせているはずですしね。

わたしは「やさしさ」をタダで提供したくないので、自分で事業を作りました。
タダで他人に優しくするくらいなら、関わらないほうがいいですからね。
そのかわり、税金くらいは払いますから…

逆に自分が消費者として対価以上に親切にしてもらったり、サービスや商品に感動したときは
クチコミしたりリピートしたり感謝を伝えたり、
なにか相手のメリットになることを還元できないか考えるようにもなりました。

自分語り、自分の考えの主張は
自分の領域で

話が少し派生しましたが、
自分の考えや思想、「自分は~」という自分語りを
他人のコメント欄で長々書いている人を見かけるたびに、
自分のアカウント作って発信すればいいのに、と思ってしまいます。

ブログやSNSなんて、名出し顔出しせず無料で作れちゃいますからね。
なにもオンラインじゃなくても、ご近所さんと愚痴り合うでもいいですし。

自分主体で発信する勇気がないから他人のお庭を借りているんでしょうけど
そういう人ってほんと情けないなと思うし、
そういう情けない人にすり寄られたくもありません。

だから、自分の領域は人に貸しません。

誤解された解釈が残ってしまう可能性がある

それから、これは自分の語彙力のなさが原因なのでしょうが
時々、発信の真意とちょっと違う解釈をされたり、
文節ひとつだけを極端に捉えられたコメントなどが入る可能性があります。

そういう些細な誤解がコメント欄に残ることで
伝言ゲームのように意図が曲がって伝わってしまうのも、本意ではありません。

3.本当によくしてくださるお客様に
安全な環境を提供したい

ここまでは自分目線の都合を書きましたが
最後の理由は自分の領域の「治安維持」のためです。

あなたが消費者としてお店に行くことを考えたとき、
その場所にはどんな人がいるか、安心してくつろげる場所か
って、結構大事じゃないですか?

わたしはけっこう気になります。

リアル店舗だとわかりやすいですが
いくらそのお店の料理が美味しかったとしても
いくら欲しいものが陳列しているお店だったとしても
そこに、わがまま放題言い散らかしているマナーの悪いお客さんがいたら、
寄り付きたくありませんし、帰るか別のお店に行こう、ってなりませんか?

あるいは病院や銀行などの待合で、
周りをジロジロ見るとか不審な動きをする人がいたら
ちょっと怖いですよね。

困った人に基準を合わせていませんか?

そういう「困った人」が現れたとき、
「お客さん、うちの店ではご提供できません」と追い出すことができず
苦笑いしながらなだめている八方美人なオーナーってけっこう多いですが
(公共機関や大企業であれば難しい場合もありますが)
これ、オーナー本人が困るだけじゃなくて
ほかのお客さんにも不快な思いをさせてしまっているんですよね。

もっと言うとそれって、
マナーを守ってくれている良いお客さんを追い払って
自分勝手なお客さんを特別扱いしてつなぎとめているようなものです。

お客さんは、あなた自身のお店や商品の良しあしだけじゃなくて
そこの居心地、つまり「ほかのお客さん」のことを気にしていますし
他のお客さんの客層で、そのお店の品性を判断されることも少なくありません。

つまり、(マナーを守ってくれている)お客さんに快適に過ごしていただくために
不適切なお客さんを排除し治安を維持することって、オーナーの務めだと思うんです。

例えそれがオンラインだったとしても、
その影響は少なくなれど、本質は同じです。

イライラしながら発信するのは毒でしかない

実際に、インフルエンサー・発信者さんで
マナーやルールを守らないごく一部の人への呼びかけに四苦八苦したり、愚痴を吐いたり
マイルールを設けて取り締まったりしている方をよく見かけます。

本人は治安維持に努めているのでしょうが、
発信者さんがイライラしているのってネット越しでも伝わってきますし
イライラしながら発信するのって、同じ発信者としてみっともないなと思うんです。

そりゃ人間ですからネガティブな感情もありますが(わたしも超ネガティブ)
イライラの向けどころが間違っています。

中途半端に取り締まると
良いお客さんが離れていく

ごく一部の困った人に対応するだけのために、オーナーが追い出せないがために
元々マナーを守ってくれていた協力的で良いお客さんが
イライラのとばっちりを受けたり、過剰なルールを課されたりするのって
ちょっと理不尽な気がしませんか?

(そして後述しますが、元々マナーの良いお客さんほど
「自分何かしてしまったかな?」と気にしてしまいやすいんですよね)

困った人だけに手を焼くのは、
その人だけ特別扱い、VIP待遇しているのと同義です。

実際に、そういう困った人の真意って
「気を引きたい」「自分を見てほしい」「特別扱いされたい」「目立ちたい」だったりして
つまり、対策すればするほどその人の思うつぼですし
かまって行為はエスカレートしかねません。

困った人に対処し時間を奪われるのは
やりたいことの本質か

わたしはコミュニティビジネスをやりたいわけではないので
困った人が現れるたびにルールを作ったり手を焼くのは本質ではないし
そこに本業のエネルギーが消耗されてしまうのは本末転倒です。

ですので、中途半端に他の人にも我慢を強いながら共存してゆくのではなく
最初からすべて受けない、と一律で決めてしまっています。

良いことだけではなく
悪いことが起きた時のことも想定しておく

たとえ本人に非がなくても、
悪質なコメントやいたずら、冷やかし、一方的な批判は一定数発生します。
(人による作為的なものだけじゃなく、スパム行為もそうですね)

それを受け付けるかどうかは、コメントを受けると決めた本人の責務ですし
「良いコメントしか来ない」前提でいるのはちょっと都合がよすぎるし、
ある意味傲慢で浅はかだなと思わざるを得ません。

優先するのは数か、質か

「仲間外れを作りたくない」というのであれば、
「誰でもウェルカム、譲り合ってお互い様」でもいいと思います。

わたしは多少なりともリスクを背負って
恥を承知で名出し顔出ししながら価値提供をしている以上は、
少しでも自分にポジティブなフィードバックをくれる人だけの世界を作りたい。

足を引っ張ったり、他人の領域を勝手に借りて無責任に自己主張したり
正論や綺麗ごとをかざして責めたり揚げ足取りするような人は、
どんどん仲間外れにするし、置いて捨てていきます。

至極単純に、その人の存在がわたしにとって不快で
居なくなってくれたほうが幸せだからです。

仲間外れにされたくないなら、自分主体で創ればいい

と言うと冷たい人のようですが
わたし自身も、仲間外れにされたり、グループになじめなかったり
疎外感を感じたことは過去にたくさんあります。(集団行動はとても苦手です)
そのグループに属していたいがために、嫌いな人に社交辞令と愛想笑いをして
仲良しのふりをしていたこともあります。

だから、もう誰にも疎外されなくていいように、
誰の顔色を伺わなくてもいいように、自分の世界を自分で創りました。

そしてその世界は、お互いが干渉し合わない
共感という儚い糸でそっとつながれる、細くてゆるいつながりに落ち着き
ぽつりぽつりと、共感してくださる同志のような方が集まってきてくれました。

「みんなでワイワイ」がやりたいのであれば、他のところに行けばいいし
そこ「だけ」がうちに足りないなら、他のサロン「も」入っていただけたら良いのです。

ここだけに縛り付けることはしたくないし、一度離れてまた戻ってきてくれてもいい。
ここで全てを満たす必要はないし、わたしもお客様の全てを満たす義務はないと思っています。

まとめ:どうありたいかから逆算して
受け入れるものを決める

匿名で始めようと、どんなにネットを取り締まろうと
悪意のあるコメントや誹謗中傷は、ゼロにはならないでしょう。

究極は

  • どんなコメントも受け入れるけど
    困ったらその都度対応するか、完全無視
  • 良いコメントも悪いコメントも受け入れない、完全拒絶

の二択になるのかもしれませんね。

メンタルが強くて、「気にしない」が上手な人、
毅然として断るのが上手な人であれば前者もありだと思います。
有料化・クローズド化するのも一つの方法ですよね。

私の場合は上に書いた3つの理由、
自己管理と、居心地の良い空間づくりのための治安維持の目的で
予防策をとってきました。

補足:
この記事を真剣に読んで下さった方は
謝らないでください!

ちなみにこういう強めのことを書くと毎度
「失礼なことを言っていたらごめんなさい」
謝ってくださる方がいらっしゃるので心苦しいのですが…

ここまで長々とわたしの思いを真剣に読んでくださって、
「もしかして自分の事かな…?」を振り返ってくださる方って
普段から協力的で良心的に応援して下さる方がほとんどなんです。

上でも少し触れましたが、こういう内容を書くと決まって
いつも良くしてくださる方から反省され謝られてしまうんですよね。
(むしろ、気に病ませてしまってごめんなさい)

ですが、そもそもこうして理解しようとして下さっていること自体が
とても有難く嬉しいことです。

わたしがどんなことがイヤで、どういう意図があって
コメントを閉じているのかという思いを理解していただけたら、
この記事を書いた意味があるかなと感じます。

「ブログ面白かったです」「つい読み入ってしまいました」
「共感しました」「ますます好きになりました」という
お客様から頂戴するお言葉やご感想は、
とても嬉しい気持ちで、時には画面越しに涙しながら受け取っています。

いつも温かく支えて下さって、ありがとうございます。


先頭へ戻る