最近、身近でお仕事を休職してしまった人がいて
自分が仕事に行けなくなった時のことを思い出して
そういう人にどう声を掛けたらいいものか考える機会がありました。

自論を押し付ける前に

振る舞いを考える前に
その人は決してあなたのために働いているわけではありませんから
まわりと相手の状況を考えて動く必要があります。

上長や職場全体の意向とすり合わせる

まず大前提は
自分が社長や管理者のような裁量権がない場合は
組織としての意向を知ること。

元気に戻ってきてくれたら嬉しいのは当然ですが
本人に委ねるのか、何としてでも戻ってこいというのか、
むしろ無理して戻ってこなくてもいいというのか。

そのあたりの温度感はすり合わせておくのがお互いのためであり
いざ戻ってきたは良いものの、やっぱりなんか違うな…という再発防止にもつながります。

来なくなる時点で限界は越えている

もう一つの前提として
来なくなっているという時点で、既に限界は越えているということ。

周りからすると、来なくなった時点で初めて問題と認識されがちですが
本人の中では、来れなくなるずっと前から「無理して仕事していた」という段階が必ずあります。

そこに気が付いて未然に対処できなかったという点では、
少なくともまわりにも多少なりとも落ち度はあるし
そういう意味で、来なくなった人を一方的に責めたり
「みんな大変なんだから」と我慢を強いるのはナンセンスとわたしは思っている。

どう声を掛けたら良いのか

本当に心配なら、たとえ仕事に来なかったとしてもその人のことが好きなら
仕事の話題は一切なしにして、一人の人として体調をねぎらったりしてみてはいかがでしょうか。
もちろん説教やダメ出しはナシで。

「自分は仕事しているのにこいつだけ休んでせこい」みたいに思ってしまいそうなら、
距離を置くのがお互いのためでしょう。

一人で考える時間を与える

声を書けるかどうか、どうやって声を掛けるか考えた時
おそらく悩むのが
「声をかけなかったら、それはそれでどうでもいいと思っているみたい」ということではないでしょうか。

かまってちゃんにかまうのはやめる

だけど、声を掛けてほしくて休職しているようなかまってちゃんなら
むしろ声を掛けないのがベスト。

「仕事を休めばかまってくれる」と学習すれば
復職してはまた都合が悪くなれば「辞める!」と機嫌が悪くなったり休んだりと
辞める辞める詐欺を繰り返します。

自分ひとりで考える時間を作ってあげるのが相手のためですし
気を利かせて言葉をかけたがあまり、「あなたに言われた」と責任転嫁される可能性もありますからね。

いずれにしても、あまり構いすぎず
本人が一人で考えて結論を出せるようにしてあげるのがベスト。

一番言ってはいけないエゴ

どうしてこんな記事を書こうかと思ったかというのも
「心配だから早く戻ってきて」という言葉を反射的に掛けがちですが
自分が当事者だった時、それを言われて怒りが湧いたからです。

わたしは過去、職場での理不尽なモラハラに耐えかねて無断欠勤をしたことがありましたが、
鬼電されたあげく、年賀状から住所とマンションの部屋番号を調べられ、
ポストに「心配だから早く戻ってきて」とメモを入れられていました。

今思い出しても脅迫に近い。
怖かったのでマンションのエントランスは使わず、非常階段から出入りしていました。

自分たちが安心したいだけだったりする

当時思ったのは、わたしのことが心配なんじゃなくて

  • わたしが来なくなったばかりに自分たちが責められること
  • 一人減った状態で仕事を回すこと

が心配なんだなぁ(苦笑)ということ。

本当に心配なら、
限界を超えて仕事に行けなくなった人を説得して
いち早く仕事に戻したりしないでしょうからね。

その場しのぎの解決は解決になっていない

では、外野を心配させるまいとその仕事に早く復帰して続けることが
本当にその人の将来にとってベストかというと、そんなわけなくて

「心配だから早く戻ってきて」は、その場限りを丸く収めたいとか
今日明日の人手が足りなくて困っているとか、
どこまでも働く当人たちの都合でしかないし

繰り返しになるけれど、
その人が来なくなってしまった環境を作ったことを棚に上げて
来なくなったことだけを一方的に責めるのは一見正当性があるようであまりに利己的と思うのです。

※結局その後復職して数ヶ月働きましたが、もちろん厳重に咎められたのち退職しました。
別にわざわざ復職する必要なかったなぁと自分の世渡り下手さを後悔しています。

相手の幸せを願うのが最良の解決法

会社目線で見ても、人が辞めるのは必ず起こりうることで
理由によって許すとか許されない、というのはなく
就業する時と同じように、辞める権利も平等にある。

今この瞬間、行きたくないと思ってしまっている環境に居続けることが
その人にとって、本当に幸せな未来なのか。
それは、周りの人が決められることではありません。

「行きたくない」「行けない」を尊重できるか

そもそもの目的は、
何としてでも連れ戻す!ということではありません。

「仕事に行きたくない」「行けないほどつらい」という思いがあることは事実。
その気持ちを正論で無理やりかき消して連れ戻したり責めたりしたところで、なにも解決しません。

本当に仕事が好きなら、戻ってくる

とはいえ、本人も辛い渦中を抜けて仕事に行かなくなれば
仕事を休んでいる罪悪感を感じたり、
一歩離れてみるとやっぱり仕事がしたいと思えることも少なくありません。

意外と気長に待っていると、自然と解決することもあり得ます。

逆にもう二度と戻りたくないと思うかもしれません。
要するに、その仕事がしたいかどうか、離れてみてわかる感情もあるので
少し時間と休む期間を与えてあげる価値はあるのかなと思います。

甚大な被害を及ぼしてなんかいない

ところで、一緒に働く立場としてはやはり
一人居なくなることによって仕事に穴があくことが心配でしょう。

気軽に仕事を放り投げて良い、と言いたいわけでは決してありません。
こんなことを言うと「仕事に対する意識が甘い!!」と怒り出す人が登場しそうですが
「顧客や同僚に迷惑がかかる」と言っても、
ぶっちゃけ、たかが知れているんじゃないでしょうか。

  • ちょっとイラっとされる
  • ちょっと非常識だなと思われる
  • スケジュールを1~2件調整し直す

その「ちょっと」で、自分や自社のメンツが「ちょっと」汚れるのを恐れるがあまり
完璧を強要し合う環境が出来上がっているのが今の日本。

その「ちょっと」迷惑を起こさないように、「ちょっと」無理や我慢をし続ける生活が、
大したことない仕事を窮屈で辛いものにしている。

これだけ労働に関する法が整備されようと、仕事の内情が辛いままなのは
そういう、少しの穴も許さない完璧を強いる空気感によるものが大きいのではないでしょうか。

その「ちょっと」を守り続けるために
ちょっとずつ何か大切なものを削っているような気がしてならないのです。

仕事を続けないという権利

働くか働かないかって
言うまでもなく責任はあれど、本人が決められることで

社長であっても労働者であっても管理職であっても
仕事をしない権利って、あると思うのです。

仕事を辞める=悪ではない

「不慮の事故やケガなら許される」という暗黙の了解は
許してもらうために自分を傷付けるという選択に走ってしまう結果にもなりかねない。
そんな極端な、と思うかもしれませんが、あながち冗談でもないと思っています。

だから、雇う側も一緒に働く側も
「明日も明後日も当たり前に居てくれる」ということを当たり前に思っちゃいけなくて
毎日、毎瞬が「ここで働く」という選択の連続くらいに思っていても大げさではないし
もしそれが途中で途切れてしまっても、あくまで結果の一つ。
責めるべきことではないと思っています。

冒頭の休職した人も、
居なくなってから何事もなかったかのように仕事は回っています。
多分戻ってこないでしょう。

だけど、どこかでその人が望む生き方をしてくれていれば
それでオッケーだと、わたしは思うのでした。

その仕事、命を削ってまでもらう対価はありますか?
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あなたをないがしろにする場所に、1秒たりとも時間を使わなくていい。いや、使ってはいけない。
わたしは大真面目にそう思います。

会社はあなたの幸せに責任を取ってはくれません。
リセットするなら1日でも早く。
自分の人生を取り戻しませんか。
東京都労働委員会認証の合同労働組合【退職代行ガーディアン】

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