先日、体のあちこちで不調を起こしていることと
その原因が、ノートパソコンを使い始めた肩こりなんじゃないかということを書きました。
食欲不振、過呼吸…謎の不調が続く原因は「肩こり」でした~長時間のデスクワーク、在宅勤務でPC・スマホに向かいっぱなしにご用心~
あれから、むち打ちのような強烈な首と背中の痛みに耐えきれず
ついに整体に行ってきたんです。
整体で肩こりがラクになった!
結果、めちゃくちゃラクになりました!!
こんなにすぐ良くなるなんて、すごい。
ついでに肩が内側に入っていたのも(巻き肩って言うんですかね)
矯正してくれて、感激しています。
日常にふと幸せを感じた瞬間
で、久しぶりに外出したので景気づけにケーキを買って
人の少ない(とは言っても外出している人はけっこう多い)帰り道に
ふと思ったのですよ。
あれ。
いま、幸せじゃない?って。
人がいないって過ごしやすい
わたしは正直、あんまり人が好きじゃありません。
不特定多数の人とむやみやたらに会ったり、おしゃべりしたり
「とにかく人と会えば会うほど良い!」とは微塵も思わないし、
むしろ、そうすることで不快を感じることのほうが多いタイプです。
特定の仲良くなった人と遊んだり盛り上がったりするのは
もちろん楽しいし、盛り上げるのは得意だったりしますが
それでもあんまり長時間人と過ごすと、どっと疲れます。
経緯はどうであれ、理想に近い生活だったことに気が付いた
コロナウイルスが蔓延して外出自粛要請がされる中
人通りが少なくなって、お店もガラガラで快適。
(お店を経営されている方は大変でしょうが…)
しかも、リモートワークで安全な場所で、人に邪魔されず仕事ができている。
肩こりが辛いから整体やら鍼治療やらに通っているのも
仕事の疲労を癒すためにお給料1日分が出ていくってどうなんだろう…と思ったものの
こうして週に1回くらい、プロに体をメンテナンスしてもらう生活って
すごく贅沢でいいなぁと感じたのです。
病院、とかならちょっとニュアンスが違うかもしれないけど
セラピストさんと楽しくお話しながら施術してもらえたら、
楽しみももらっているわけですしね。
主体的に行く場所と付き合う人を選べる自由
人が嫌いと書いておきながら、逆説的な気もしますが
一つ大きく違うのは、
その関係は主体的に選んだものかどうかということなのかな。
選んだ関係は不快が少ない
たまたまそこに居合わせた同僚とかだと
お互いがお互いを選んでそこにいるわけじゃないので
価値観が合わなかったり、ムカついたりすることも少なくないけれど
主体的に選んだ人から不快を受けるということは少ないですし
あっても「この人なら仕方ないな」と信頼ベースで許せたり、
本当に嫌ならその相手から離れればいいだけですからね。
幸せの形は意外なものかもしれない
コロナウイルスが流行っていること自体は
不安にもなりますし、実際に健康を害したり命を失う人も多く出ていて
不幸な出来事ですが、
「コロナショックによってもたらされた生活」に焦点を当ててみると
陰キャの自分には、合法的に引きこもれるので
(元々違法なわけではないですが、ちょっと後ろめたさのようなものはあった)
意外と悪くないかもしれないな、と感じたのでした。
今回は偶然ではありますが
一見不幸な出来事でももしかすると、
ある面では理想を叶えてくれている側面があるかもしれない、というお話でした。