Twitterがストレスになっていることに気が付いて
すっぱりやめました!
何度かアカウントを消しては復帰していたのだけど、
今回はもう復活させないと思います。
情報収集と新しい販路の可能性を探るために
半年くらい前から始めたアカウントなので
あまり思い入れや歴史はないのですが
Twitterを通してやり取りをさせていただいた方もいるので
少し寂しい気持ちがあることが心残りなくらいかな。
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Twitterの情報を参考にして勉強して単価アップを果たし
最低賃金から抜け出すこともできましたし、感謝していることもあります。
だけど、だからと言って、その一抹のさみしさや恩返しのためだけに
あまり好きでもない、効果も出ていないツールをダラダラ続けるのは
本質から大きく外れますし、義理でやるものでもないですからね。
SNSによって
集まる人の性質が全然違う
SNSが苦手というわけではなくて
むしろ、独立する前からけっこう積極的に使ってきたのですが
思うのは、SNSによって構成している人の性質が全然違うし、
世界観がまったく違う。
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UIが人を選り分けている
情報をとにかく早いペースでかき集めたい人はTwitter
美的感覚を満たしたい人はInstagram
娯楽要素を求める人はYouTube
がっつり読み書きするのが好きな人はnote
といった感じなのかなとも思いますが
そこに集まる人の層がどんなかを考えると
VAKの優位性以上のものが関係していそうで、
実はとても奥が深い。
ある程度はフォローする人を変えてみたりで
タイムラインの質をコントロールできるのでしょうが
「そこの媒体を使っている人」という時点で既にバイアスがかかった集団ですし
(自分がどんな人をフォローしたくなるかの傾向含め)
フォローする人を変えてみてもさして変わらないと感じました。
合わなければストレスの原因になる
どれが良い悪いと言いたいわけではなくて
例えるなら部活や文理系のように、そこには必ず「相性」が存在するし
その人たちの価値観によって「正解」は変わり
そのSNSそのものの使い勝手以上に、そのSNSを構成している人と合わなければ
非言語的な居心地の悪さやストレスになり、害悪にすらなりうるというのは
実社会の体験と変わらないなぁと思うのです。
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実社会と違う点と言えば、それが嫌であれば
いつでもその「世界」を移動したりやめたりできる自由や身軽さがあるというのも
SNSの特徴かもしれませんね。
技術が変わっても人が同じなら
体験は大きく変わらない
それから、そのサービス自体が最新の機能を使っていようとも
それを構成している人の質が変わらなければ
得られるユーザー体験って残念ながら大して変わりません。
例えるなら、最新のアプリや電子ニュースサイトで
相変わらず余計なお世話的な低俗なニュースや煽り記事が蔓延しているようなもので
発信する人も、その情報を欲している人がいるという事実も、変わりませんからね。
Twitterは「右へ習え」が多い
Twitterを使ってみて思ったのは
インフルエンサーに群がるフォロワーというパワーバランスが
他の媒体よりも強いなあということ。
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バズる現象のような、一つの話題にみんなで群がる現象が常態化していて
下手くそなサッカーのように、みんなで一つのボールを追いかけている。
Twitter が好きな人にとっては、その一体感が良いのかもしれませんが
協調性のないわたしには気持ち悪い、息苦しいとしか感じられませんでした。
意外と日本のトップダウン・同調圧力の縮図っぽい
インフルエンサーがフォロワーを教育している格言ツイートも
「努力しましょう」「勉強しましょう」「悪口はいけません」的な
つまるところは綺麗で当たり前な一般論ばかり繰り返し説いていたりします。
媒体が変われど、これって旧態依存の日本的な企業や社会と
「やってること同じじゃね?」と思うのでした。
「フォロワー○万人!」みたいなフォロワー合戦みたいのとかして
みんなで同じことで張り合っているのを見ると
みんな同じものになろうとしているメディアであって
これって、昭和的な日本の同調圧力や他人と数字競争をしているような滑稽さを感じるし
個人的に驚くのは、
比較的若いユーザーさんが進んでこれをやっている、つまり
古い日本的な慣習を意識的であれ無意識的であれ、引き継いでいることを不思議に思ったのでした。
特に、個人でビジネスするなら、みんなと同じことをしていては先が暗いです。
不要な情報がレコメンドされる
フォローする人を厳選すればよいのですが
「○○さんがいいねしました」的な、フォローしていない人もおすすめとして出てきたり
なにかと「ノイズ」が多いんですよね。
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無料で利用しているからというのもあるのでしょうが
広告を含めて、見たくない情報が入ってきすぎる。
Twitter は
たくさんの人と情報交換するためのツール
Twitterは、たくさんの人に情報を届けるのが目的でしょうから
たくさんの人に届けたい、たくさんの情報を見聞きしたい人には向いていますが
わたしのような、コミュニケーションは限られた人とだけでいいや、という
内向的人間には向いていないツールかもしれませんね。
多方面から情報を集めて、交流することが向いている人も多いのでしょうが
外部の情報、つまりノイズを極限まで遮断するほうが向いている人も一定数いて
繊細な人や自分の感性がブレると支障のある人にはあまり向かないかもしれません。
もちろん、どのツールが良い悪いではありませんけどね。
どこの世界で生きるかは
最重要な問題
たかがSNS、と思われるかもしれませんが
「自分がどこの世界に露出して生きるか」という土俵選びは
どこで仕事をするか、どこの人と結婚するか選ぶことと同じくらい
未来や充実感を左右するものだなとも思うのです。
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やめてみてから今のところ困っていないし、
焦ったりイラついたりすることがかなり減り、平穏に過ごせています。
イラついたり、ネガティブになりながら、効果を出すよりも、
成果はそこそこでも平穏に過ごすことをわたしは優先したい。
(そんなことだから結果が出ない、と言われそうですが)
それから、Twitter では自己啓発系の内容を「ポエム」だとか揶揄されていたので、
けっこう気にして委縮して、そういう記事を書かないようにしてしまっていたのですが
これからは「ポエム」だろうが、気にせず書いていこうと思います。
価値がないと言われようが、見下されようが、
自分のお客さんになり得ない人の評価は要りませんし、
それがわたしの紡ぐ発信ですからね。