公開日: 2019/09/21  最終更新日: 2021/07/30

最近、メルカリにはまってしまい
物欲が半端なくて困っています。

すごいですよね。
自分の経済力じゃ手が出ないお品物が、10分の1近い価格で販売されていたりもして、感動しています。

過去の経験上、
これを買わないで我慢しているとロクなことがないので
素直に従って買ってみることにしています。

欲しいのはほぼ服飾品なので
「本物に触れる」体験や感動も、必要かなと思い。

欲には代償がついてくる

しかし、なにせ出費が痛い…

しかも、よりによってお金がない時に限って
お財布事情に反比例するかのように、欲しいものがわんさか出てくるんですよねぇ。

「欲しい」は、欠乏感の反映

わたしは専門職をしていて
普通のサラリーマンの給与水準より、やや好待遇のお給料をいただいていた時期がありました。(手当があったりしたため)

毎月5万くらいは積み立て貯金に回していて
それでも物足りず、FXや株主優待など
自力でできる投資をちょこちょことやって資産を増やしていて

真面目に家計簿や資産推移もエクセルでつけたりしていて
毎年100万円くらいのペースで貯金が増えていました。

資産

だけど、不思議なことに当時は
物欲が全然なかったのですよ。

満たされていれば、欲しくならない

その当時は貯金がどんどん増えていくのが、ゲームのようで楽しくて
また、貯金額が多い=すごい、えらいみたいな自己満足がありました。

過去に、食べるものに困って体を壊したこともあり
「不自由のない生活がしたい!」という欲が人一倍強かったこともあったのでしょう。

「こんなに貯められる自分」と
まるで資産家にでもなったかのように、
貯金額がステータスだと思い込み、自己肯定感が満たされていたのです。

あえて言うならば、一番欲しいものが「貯金」だったのですね。

貯金額がステータス

実際、20代にしては貯金額が相当あったし
27歳で分譲マンションの内覧会に行って営業さんに驚かれたりと、
「あなたくらいお若い方が来られることは、ほとんどないですよ…!」と言われては、悦に浸ったりしていました。
うざいですね。

身に着けるものに不足やコンプレックスを感じることはほとんどなく
ブランドバッグを身に着けるようになった同期を見ては
もったいない使い方してるなぁ、と心の中で見下していたり。
いやな奴ですね。

お金単体では、なんの価値もない

結論から言うと
この時期の自分を、ものすごく後悔しています

お金を貯めて時間を失った、と。

今思い返してみると
そうやって過ごした20代の自分、

自己肯定感は満たされていたものの
客観的に振り返ってみると、全然充実していなかったのです。

やせ我慢して失った20代

ブランドバッグを買っていた同期たちは
決して華々しい生活をしていたわけではなく
むしろ逆に、地に足のついた生活を送る、しっかりした女性ばかりでした。

相手に失礼のないように、
必要な場面で身なりを整え、自分を高く売る。
そのためのブランドバッグだったのです。

わたしは彼女らと学生時代から交友関係があったのですが、
学生時代と社会人になってからでは
見た目も確実に年相応の上質で落ち着きあるものにアップデートされていました。

合理性とまわりの目ばかりを気にしていた新社会人

そんなことなど全く考えておらず
貯金、節約一筋
お金をいかに多くするかしか考えていなかったわたしはというと…

徒歩数十分の通勤路を歩いて
職場に着いたら着替えてしまうから、どうせ誰も私を見ていない。
服なんて着替えやすければなんでもいい。

お年寄り(来院患者さん)としか話さないんだから、オシャレなんて無駄。
むしろ悪目立ちして煙たがられるだけ。

おしゃれやメイクは人一倍好きなのですが
そう言い聞かせて、「自分」を全部投げうって
仕事で認められることとお金を稼ぐことしか考えないように、やせ我慢していたのです。

見た目大学生のお金持ち

服はGU(GUが進出し始めた時期で、GUの安さに感激していました)と
数年前からの大学時代の服をそのまま着ている。

ファストファッションを否定するわけではありませんが
安いから劣化も早いので、すり切れたりシワや毛玉ができるのも早い。

年相応のアップデートを怠った

同年代の友人が、それなりのお金をかけて
一見地味に見えても品のあるファッションに切り替えていく中、
見た目は大学生のまま

というのも、遊ぶ友達も、住む街も、働く場所も
大学時代とあまり変わっていなかったため
変わる必要を感じていなかったのです。

安っぽい素材の服や、毛玉のついた服、数年前の流行遅れの服。

それでもなにも困っていなかったし
なんの危機感も持っていませんでした。

見た目とともに置いて行かれた20代

友人の結婚式を見送り続けた結婚ラッシュ。
こんなに笑顔で人の幸せを祝福できるんだから、次は自分だろう。

そうタカをくくっていたのですが、結婚はおろか、
一向に出会いすらありませんでした。

学生時代はモテ期がきたりしたこともありましたが
そんな恰好をしていたので、モテるはずもなく一向に彼氏ができない。

なんかおかしいなぁ…と思いながらも
出会いがないからだ、大学時代に医学部の男子とつき合っておけばよかったとか
考えてもどうしようもないこと負け惜しみを考えていました。

貯めたものを失った

さらに、職場でアクシデントがあり
ちょうど独立に意識が向いていたこともあり
安定した仕事を辞めることに。

貯めていた貯金に救われるかと思いきや…
コツコツ運用していた投資商品が景気変動により急落し、5年間積み立てた貯金と退職金を一瞬で失ったのです。

使わなければ消える

このときほど
「使わなければなくなる」を実感したことはありません。

わたしは神様やスピリチュアルは信じていませんが
この時ばかりは、いつまでも使わないでとっておくケチなわたしを見かねて
バチが当たったんだなと痛感しました。

書いていても心が痛い…

貯金は人生の先送り

こうして書いてみると
あのまま専門職のまま歳を重ねていたら、
貯金額だけを誇りにして、お金の使い方も遊び方も品格も知らない
プライドだけ高い世間知らずのおばさんになっていたんだろうなと思ってぞっとします。

しかも、当時の自分は専門職で高給だと思っていましたが
社会を広く知って、自分なんかよりも給与水準の高い仕事がたくさんあることも知った。

今でも世間知らずは変わりませんが、
いくらかはましになったのではないかな、と。

欠乏感を原動力にする現在

話は戻り、
今は手元に安定も貯金も身を委ねられる身近な人もいないので
その欠乏感が物欲として反映されたのでしょう。

一つ言えることは
欠乏感は、大きな原動力になるということ。

「せざるを得ない」で変わることもある

当然ですが、何かを買うにはお金が必要で
そのお金を工面するために何かをしようとするわけなのですが
そのお金の為に始めた「何か」で、日常が変わるという体験を、よくも悪くも何度かしています。

その後の経過は、こちらの記事↓に続きを書きました。

腰の重い自分には、このくらいの切迫感が丁度良いのかなぁ…と苦笑しながらも
今日も欠乏感を原動力にして頑張りますっ。

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