定期的に首を治していただいている治療院の帰り道、
お腹空いた。自炊も飽きた。肉が食べたい…
だけど、家の肉を解凍して煮込むと、食べられるのは5時間後…

そんな腹ぺこな時、ちょうど通りかかった近所の焼鳥屋さんで
テイクアウト営業をしていたので、焼き鳥と唐揚げを買ってきましたっ!

帰るまでが遠足。
炭火のいい香りに包まれて幸せ~と思いながら帰路につき
お祭りみたいで幸せな気分に浸りながら、焼き鳥をいただいています。
美味しい~!

幸せなお金の使い方

目の前で焼き鳥を焼いてくれて、テイクアウトができ上がるのを待ちながら
こういうお金の使い方って、なんかいいなぁと
お金について色々ぼんやり考えていました。

美味しい焼き鳥を食べながら、今日はお金について語ります。

コロナショックで支出が増えた理由

「コロナで外出が減って、支出が減った」
「(お金を使わないから)知らないうちにお金が溜まっている」

という声をネット上で見かけますが、
わたしは元から家からあまり出ず、人付き合いも極力減らして生活をしていたこともあり
コロナショックになってから、むしろ支出が増えました。

というか、正確に言うと
積極的にお金を使うようにしています。

もちろん、外出は極力自粛していますし、配送業者さんも忙しいでしょうから
なるべく無駄な買い物や自己中心的な買い物、
買い物のためだけの無駄な外出はしないようには心がけています。

幸せをくれた人にはお金でお返しする

だけど、
特に、自分が「好きだな」「良いな」「役立っているな」というサービスやモノには
惜しまずお金を払うようにしていて
コロナの今、その働きかけを大きくしているという感じです。

「このサービス良いな」と思ったり、本当に心から感謝した方には
積極的に追加料金やチップを払うようにしていて
いわば、お金を使うという行為が、一種の「投票」のようになっています。

どうせないお金を守っても意味がない

こういうと、「お金が潤沢にあっていいね」と言われそうですが
言いにくいですがわたしは現在貯蓄なし、借入をして生計を維持しています。
やっと定収を得てキャッシングをギリギリ完済できたと思った矢先、
体調を崩してしまったことで支出が増えて、また借入生活に転じてしまいました…
(しかも早々に辞めるし)

なので、偉そうに完全に自分のお金とは言いがたいのですが
いずれは返済するわけで、「未来の自分への信用」として借りを作っているので
「未来の自分から前借りしている」ような感覚です。

節約したところで知れているので(多分、借入は免れない)
どうせなくなるお金を守るより、使ってその分を稼いで取り戻そうと思っています。

低金利の今、利回り最大の複利投資は「使うこと」かもしれない。

その考えは、コロナ云々ではなく、
以前から変わっていません。

お金を払うって悪いことじゃない

焼き鳥テイクアウトの話に戻ると
こうやって焼き鳥をテイクアウトしたり、体調を整えていただいたりして
(体調は劇的に良くなりました!)
なんか、こうやってお金使うのって全然悪い気がしないよな、と思ったのです。

なんというか、「取られた」って感覚は全くなくて
気持ち良くお金を払えているというか。

好きな人には富んでほしい

決して「コロナで売上減って困ってるだろうな」という同情ではないのですが
こういう局面だから、お金で感謝とエールを示すようになったというのは
少なくともあるかもしれなくて
自分が好きなサービス、感謝している人には富んで欲しいし、存続してほしい。
そんな純粋な思いでやっています。

「ありがとう」では生きられない

ぶっちゃけ、今、命がけで医療の最前線を護っている医療従事者に
正義感的な労働を強いている風潮、ムカつくんですよ。
PCR検査の大変さも知ってるし(そもそも本来、PCRって精密検査の部類。
こんなに大量の人の検査をするためのものじゃないし)、
この場に及んでも「ありがとう」「頑張れ」で丸投げするんだー、って。

わたしはそれっぽっちの対価が嫌だから医療従事者を辞めたわけですが
医療者全員でストライキしても全然おかしくないと思う。

これについて書くと長くなるのでこの辺にしますが
人は「ありがとう」じゃ生きられません。
だからわたしは、わかりやすく、使ってもらいやすいお金で
感謝の対価をお渡しします。

幸せになってほしいからお金を払う

コロナが流行るもっと前の話ですが
メルカリで服を譲って下さった方がすごく丁寧に対応して下さって
その服はちょっと高かったので最初は躊躇したのですが、
「このお金でこの人が幸せになってくれるならいいな」って思ったことがありました。

たとえばそのお金で、美味しいものを食べたり、好きな服を買ったり
まぁ、お酒でもタバコでも、何に使うかはその人の自由なんですが、
その人が自分のお金で一瞬でも幸せになってくれたら、嬉しいじゃないですか。
(そしてその服をまたメルカリに出品…なんでもない)

極論、別にお金を使わなかったとしても
「これで今月の生活は大丈夫だ」みたいに、精神的に安心するかもしれませんしね。
(そこまで大金は払っていませんが)

お金を受け取るのは「卑しいこと」なのか

というのも今、わたしは慣れない営業にチャレンジしようとしていて
怖くて足踏みしていたので尚更こんなことを考えたのでした。

これって翻って、自分がお金をいただく側になっても
そうなのかな、そうありたいな、と思ったのです。

支払いには感謝が伴っているはず

人に何かを売ってお金をいただくって、決して
人からお金をだまし取ったり、ぶん取ったりするものじゃなくて
自分が手を動かして、然るべき価値を提供しているからこそいただけるもの。

自分にお金を払って下さっている方って
きっと、「取られた」と思いながら仕方なく払っているわけではないはず。

少なくとも、今までお付き合いして下さったお客様は
気持ち良く潔く払って下さったわけで
これまでお金を払って依頼して下さったお客様を
勝手に悪者にすることにもなりかねないな、と反省したのでした。

出し惜しみする相手とは絶縁すべき理由

なにも無駄な浪費を勧めているわけじゃないのですが
必要以上にお金を護っても、新しい発見も喜びもそこからは出てきません。

だから逆に、
「あなたに少しも報酬を渡したくない」という執着心が見え透いている人とは
就業先であってもお客さんであっても、1秒も早く手を引くようにしています。

そういう人に限って、
「感謝している」と口では言いながら行動が伴っていないというか、
薄給で使いたい放題パックのように無限に仕事を要求してきたり
こちらの時間を平気で奪ってくるんですよね。
(そりゃ、罪滅ぼしのように感謝して当然ですわなw)

そういう人や会社は、どこまで行っても
「いかにたくさん自分のもとに蓄えるか」しか考えていません。

わたしはボランティアじゃないし、仮に「ボランティア」したところで
他人に富を渡すまいと自分の幸せだけに必死になっているテイカーからは
将来的にも何も還元されないでしょうからね。

言いにくいですが、その手段も問うていません。
(というか、去る相手に気を遣っていちいち手段を選んでいたら、いつまでも離れられません。)

3度目の正社員登用のお話を受けて感じたこと~断るという選択肢がある強さと会社を評価する目~

「逃げる」という言葉の方が適切かもしれませんね。

一時的にはこちらが悪者になったとしても、自分を守ることって絶対に大切で
これを「自分の糧になるから」とか「社会のため」とか言って何か月も何年も耐えていると、
自分の人生の一部を切って捨てるようなものです。
まじ、苦労したという話のネタ以外、何も自分に還ってきませんから。

人にお金を渡せない人は、自分を信じられていない

お金を払ったら、一生お金が減りっぱなしということはありえません。
また稼げば良いだけです。

言い換えると、人にお金を渡せない人って
自分の稼ぐ能力を信じられていない人なのかなって思ったりします。
(また、そういう人ほど
ブランド品とか嗜好品とか無意識レベルで買ったりするのも特徴ですがw)

きっと、また稼げる、また別のところから入ってくるのを信じられないから
お金を払う=お金を失うという図式なんでしょうね。

得たものをも見ないから、いつまでも血肉にならない

それから、お金を払っている時って
必ずなにかしらの対価を得ているはずなのですが
その「対価を得た」という視点を丸々見落として、
もちろん見てないからその対価をうまく自分の生活に活かせていない。

得た無形の資産を見ないから、いつまでも自分の血肉にならず、
不足が生じるたびに、外の嗜好品やら便利グッズやらスピリチュアルやら
その場しのぎで補おうとして、結果、散財してお金が貯まらないし入っても来ない。

だから、意味も目的もなく、やみくもにお金を集めたがる。
そんな悪循環になるのかな。

お金を受け取ることは、卑しいことか

もう一つ、
営業をするにあたって、お金を受け取ることに抵抗があったんです。
本当に自分なんかが受け取って良いのかなぁって。
いわゆる「お金のブロック」でしょうかね。
(かと言って格安で売るのは嫌ですが)

で、少し考えてみたんですが
お金を受け取る、お金の授受から目を逸らさずに真摯に受け止められるって
尊いことだよなぁと。

お金をもらっていない人のほうが傲慢

日常をちょっと考えてみると、お金を直接受け取る店主よりも、
お客さんからいただいたお金を直接触っていない従業員・店員のほうが傲慢なことって
往々にしてあるんじゃないですか。

「どうせ自分に払われるお金じゃないから」と、投げやりになる気持ちも
自分も経験があるし、わからなくもないですが
お客様からお金をいただいているから身が引き締まる、というのは
少なからずあるのかもしれないですよね。

あえてけじめをつける

わたしは全てオンライン取引なので
お客様から直接現金をいただく機会はないのですが
たとえ大げさだとか、そんなのいらないからと言われても
お金をいただくけじめとして必ず、請求書や領収書などの書類を発行するようにしています。
もちろんお客様の支払フローが面倒にならない程度にですけれどね。

自分にもお客様にも、
「お金のやり取りをしている」という自覚を忘れないために。
正直、何度取引をしていても、たとえ少額の取引でも、
いまだに手が震えます。

「相手の役に立つ」を、良い気分で

とりとめのない文章になってしまいましたが…

そもそもお金のやりとりが発生するってことは
自分ではできないことをやってもらった、提供してもらっているわけで
本来、助けて助けられているということ。

もっとお金の授受が気持ちの良いやりとりになったらいいなと願うのでした。

あ、焼き鳥は美味しかったですよ。
ごちそうさまでしたっ!

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