公開日: 2020/03/03  最終更新日: 2021/08/02

新型コロナウイルスが思った以上に蔓延してきて
焦りと不安が増してくるばかりですね。

そんな時にタイミングよく
在宅勤務(リモートワーク)が決まったわたしですが
副業先のお店にも、変わらず出勤しています。
(当面は副業も続ける予定です)

外出するのも毎回怖いし、
飲食店なので食器などを介した感染も怖いなと思いながら出勤していますが
今のところ平穏に過ごせています。

そこで関わる人達にめちゃめちゃ思うことがあって
書かずにはいられないので
今日はその内容です。

一言で言うと
「毎回毎回、まじでうるさい」ということ。笑

面白いことに
愚痴を言う人は毎回毎回同じ話をしてくるし
そうじゃない人は、全くと言っていいほどコロナの話をしない
「平常運転」の人もいます。

あんまり危機管理意識がないのもそれはそれで怖いですが
「大変だ」と言っても、なにも事態は変わらないのに
「こんなに自分は困っている」というアピールを必死でしてくる人。

仕事が減ったとか、学校が休校になって仕事行けないとか
こんな時でも仕事を休めなくて感染が怖いとか理由は色々ですが
こういう時に国を責めても状況を嘆いてもどうにもなりません。

「どうにかできないか」と
「こんなに自分は大変だ」

あんまり大きな声では言えないのですが…
そうやってうだうだ愚痴ってくる人って
決まってショボい人ばっかりです。

大変なことには変わりはありませんが
ぶっちゃけ、よほどでない限り、1ヶ月仕事がなくなったって死にません。
突然仕事が途切れて資金繰りが破綻して
借金生活を繰り返しているわたしが言うのですから。苦笑
ちょっとやそっとの備蓄くらい、財布と知恵を絞り出せばあるはずなのに
甘えたこと言ってんじゃねーよと内心では思います。

現状に甘えていた裏返しで変化を責める

しかも、そういう人たちに限って
普段何も考えずに外食したり飲み歩いたりして
無意識のうちに散財しているんですよねぇ。

いわば、ベルトコンベアの上で思考停止してあぐらをかいているだけで
いざ、そのベルトコンベアが止まってから初めてパニックに陥る。

好きなことや幸せを感じられることにお金を使うのであればむしろ大賛成ですし
自分もいくら貧乏になっても大好きな服は買いますが

思考停止して然るべき努力から逃げて「怠惰」に散財し
ショボい道をせこく選び続けてきたことから目を背けて
そうやって人のせい、環境のせいにしながら正当化しているにすぎないのです。

解決を求めていたら愚痴は出てこない

ちなみに、本当に困窮していて
困っているから助けてほしいと言えるのとは
似ているようで、ただ文句を言っているのとはまったく異なります。

一見人にすがっているだけのようにも思われがちですが
「じゃあどうすればいいか」と考えた末の解決のための行動ですからよほど建設的ですし
本当に困っていて、人の力を貸してほしくて頭を下げるって
プライドもありますしから、とても難しいことです。

そもそも助けてほしくて必死なら、愚痴とか出てきませんから。

できない理由で論破するのが大好きな言い訳マン

一方で、ただ愚痴を言ってくる人って
「でも」と論破(笑)するのが大好き。

おまけにめんどくさくなって「大変ですねぇ…」と同調すれば、
でも、仕方ないことだから。」と正論で締めくくる。

わかってるなら最初から言わないでくれ。
もう、相手するの面倒なので壁にでも話しかけててほしい…

「変えたい」という不満・不便は
強力な原動力になる

確かに今回のコロナ騒動は、命を脅かされるし
生活範囲や経済も大幅に縮小して
不安にもなりますし、窮屈な思いもしますよね。

だけどそもそも、起業のきっかけって
社会的な課題・問題の解決だったり
本人の不便・不満・コンプレックスが動機になっていることがほとんどです。

アクシデントは財産

起業などの大きなことをするために必要なものって
お金だとか人脈だとか、そんなことばかり想像されがちですが
それ以上に「現状をなんとかしたい」という問題解決意識が欠かせません。

起業した人のエピソードを遡ってみると
不自由な生活環境で育ったり、何かを失った経験をしていたり、挫折を味わったりという
強烈な「不足」「喪失」の経験をした人はとても多いです。

もっと単純な例だと
「モテたい」とかいう下心的な動機だってそうですよね。笑

そう思うと、アクシデントやマイナスな出来事って
立派な「資産」ではないかなと。

変わらなきゃいけないという荒療治

直近で言うと
3・11の東日本大震災をきっかけにビジネス立ち上げたり
働き方やライフスタイルを変えるきっかけになったという人も多く見かけます。

ビジネスに限らず、
こういうネガティブなアクシデントをきっかけに
身近に大切な人がいることや、今生きていることの有難さをかみしめて
結婚を決めたり、新しいことを始めてみたり、
または我慢していたことをやめたりした人も多いのではないでしょうか。

そう考えると、破壊や喪失って
新しいスタートのきっかけにもなりうるわけで。

アクシデントは新しい種か、責める材料か

そこに目を向けることができずに嘆くだけの「クレクレ」は
ある日突然ベルトコンベアが止まって振り落とされるのみです。

ま、そういう人がいてくれるから資本主義が成り立っている面もありますが
このブログを読んで下さっている方はそうでないといいな。

こういう逆境を強く切り抜けていける人とそうでない人とで
住む世界が二分されていくのではないのかなとわたしは思って
そんな思いを記事にしたのでした。

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