半年前から、医療職に復帰し
WEB制作と医療職の2つの仕事をしていました。
午前中はクリニックにパートに出て、
帰宅してからパートナー先の制作依頼をこなす。
このバランスにも慣れ、家計もようやく安定してきましたが
一つの仕事を辞めて、もう片方のお仕事だけを残しました。
スキルをつけて単価を少しずつ上げてきたWEB制作と
もう二度とやらないと決めていながら金銭的理由で
自分との約束を破り、泣く泣く復帰を決めた医療職。
残したのは医療職のお仕事のほうでした。
WEB制作を辞めて
医療職を続けた理由
自分でも少し驚いていますが
医療の仕事を残して、WEB制作の仕事を辞めた理由は
- 希少性
- 自分が自分でいられる場所
が、今働く医療現場にあったからです。
ただこれはあくまで今パートしている近所の小さなクリニックだったからこそ。
これが別の医療機関で働いていたら、また違ったと思います。
今日は、そう思うに至った内容を
もう少し詳しく記事にしますね。
スキルを伸ばすことと希少性が高いことは
必ずしもイコールではない
わたしは一度医療業界の仕事から離職しています。
当時勤務していた仕事場では
ひょんなきっかけから理不尽に揚げ足を取られ責められ、
しまいには自分の人格と数年必死で頑張ってきたキャリアすら否定してしまうほど
存在ごと疎まれた結果、逃げるように辞めました。
「消える」という期待にすら応えようとしていた
人は、意識的であれ無意識であれ
自分が思う自己像や、他人から望まれたようになろうという力がはたらきます。
「あなたなんか必要ない」「自分なんてここに居ても価値がない」
というメッセージ性のこもった言動や、自己否定の念を抱いてしまえば
(意図せずとも無意識的に)自分の存在を消す方向に力がはたらきます。
わたしも当時は自分の至らなさをひたすら責め、
自分の存在を消すことばかりを考えていました。
今だから言える話ですが、あと数か月でも「耐える」選択をしていれば
数百万円の貯金を遺して首を吊っていました。
「なにを大袈裟な」と思われようとも、大真面目にそう思っていました。
今こうして書いていても、心が痛くなります。
存在を必要とされていないなら、離れればいい
ですが、ひとたびそこを離れてしまうと、
必要とされていない場所にしがみつこうとしていた自分の愚かさに気が付き
もう、自分にそんな思いをさせた業界には二度と戻らない、と思っていたのです。
(ほかにも、業界自体に思うこともあったわけですが)
無力感や自己否定に苦しんでいる人って、多いのではないかと思いますが
自分の存在を否定してしまうに至った理由は色々あるでしょうが
必要とされていないなら、そこから居なくなればいい。
ほんと、これに尽きます。
疎まれる場所に居続けるのは
自分も相手も良いことがない
「嫌なことや自己否定ばかりが続くのは
そこに居ちゃいけない、場所を変えるサイン」という言葉も、
スピリチュアル臭いと一蹴しがちですがあながち間違いではないと思っていて。
本人が自己否定や無力感、劣等感に傷つくだけでなく、
居なくて良い、居ないほうが良い人にそこに居座られると
実際はまわりも困るでしょうしね…
会社員であれば解雇することもできないでしょうし、
適性のないスタッフのためにお給料を払わなきゃいけなかったり。
スキルを伸ばすことと希少性が高いことは
必ずしもイコールではない
医療職もWEB制作も技術ありきの仕事。
「最新の技術に遅れないようにスキルアップを日々行う姿勢を!」
「昨日正解だったことが明日不正解になることもある」とか言われますが
ぶっちゃけそんなのは極論です。
当てはまるのは最新の情報を取り入れることが仕事の
マーケッターやライターくらいで、
むしろ、全員が全員、毎日本業の時間を割いて血眼で情報集住していたら
それはそれで効率悪すぎですから。
これだけ意思決定の遅い日本の社会で
昨日の技術が突然使い物にならなくなるなんてこともほぼあり得ません。
最新スキルをやたら求める上司は
自分が情報収集をしない・したくないクレクレ
もっと言うと、他人やまだ見ぬ人材にまだ見ぬ技術や情報を期待して
自分たちは思考停止して昨日と同じ作業をしているのが
業界の9割以上の実態ですし
「最新の技術を日々取り入れるのは必須ですが
あなたは何を最近勉強しましたか?」と聞いてくる採用担当者や上司が、
「最近は○○を勉強しました」と答えると
「へぇ~!!それ、勉強してみてどう?!使えそう??」と
とたんにクレクレ化する、なんて冗談のようなことも日常茶飯事です。
結局、情報収集を促すのは
新しいものを集めに行く努力を怠って思考停止していたい自分たちに
情報を運んでほしいからに他ならなかったりします。
というか、日常業務に忙殺され時間的・思考的リソースの余裕がないというのが実情でしょう。
自分が知りたくて勉強するなら良いですが
「ついていかなきゃ」という動機で勉強すると
ただの運び屋にしかなれません。
またこれだけで1記事になること語ってしまった…
トレンドを追わなくても、散々否定された仕事でも
その技術を必要としている場所がある
どうして過去のことや最新技術のことを書いたかというと、
前職で「いらない人材」として扱われていても、数年のブランクがあっても、
必要としてもらえる場所があったということを書きたかったからです。
現場から何年も遠ざかっていて、
ブランクの間の業界事情も知らないし、知ろうとも思っていません。
ですが、前職では自分の存在事否定されるくらい散々否定された仕事でも
別の場所で仕事をしてみると難なくこなすことができ
(たまにあれこれ不満やら文句を好き勝手言ってくる人はいますが)
誰にも迷惑をかけず、円満に診療業務をこなすことができています。
つまり、わたしがそこで仕事をすることが誰かに嫌な思いをさせていた前職と違い
誰も嫌な思いをしている風でもない。
(むしろ、メカに強いので頼りにしてもらえたりしている)
思い切って医療職に戻ってみたことで、
決して高いと思っていなかった自分の技術でも
一定の評価と需要をもって「買ってくれる」場所があったということに気が付けたのでした。
WEB制作で希少性を上げるのは
非情に難しい
WEB制作と医療職、
双方の仕事をしていて常々考えたことは「希少性」でした。
ホームページを作れる人は
指数関数的に増えている
WEB制作は、資格もいらなければ学習コストも低く
今はオンラインで学習手段も充実しているので参入障壁が低く、
また、パソコンがあればできるという働き方の魅力ゆえ
需要の多さを凌いでしまうくらい(仕事にするか否かにかかわらず)
「ホームページを作れる程度の人」は年々増えています。
デザインについても同様で、
技術の進化でスマホアプリでもそれなりのデザイン表現ができるようになってきていますし、
本当に表現力がある人であれば、多少の操作性・拡張性の不便はカバーできるものです。
ホームページを作れるというのはもちろん価値ある技術ですが、
業界内で価値ある人材と評価してもらうためには、それだけでは不十分。
打算・追従では希少性は上がらない
しかも、自身がトレンドの渦中になっていてトレンドを生み出す側である若い人が参入してきているわけで。
おじさん・おばさんが必死で左脳を使ってトレンド(笑)を追従しようにも
若者のマネをしてSNSマーケティング(笑)を始めようにも
彼らには到底太刀打ちできるわけがありません。
新しい技術を学んでも、
新しいスキルや指数関数的に増える新参者に常に追われ続け
階段を上がっても上がってもいつまでも上階に辿り着けない。
楽しんでいる人には敵わない
何が良いたいかというと、
楽しんでやっている人には敵わない、ということです。
年長者がSNSをやっても、トレンドを追ってもいいと思うんです。
ただそれが、お金になるからという打算や、みんなやってるから伸びる、といった損得勘定では
ただそのフィードを汚すノイズにしかなれないんじゃないかと思うんです。
↑わたしも「情報収集と認知獲得には必須だから」という義務感で失敗しました。
よほどデザインが秀逸か、「オタク」と呼ばれる域であるほどプログラミングが大好きか
いずれにしても、圧倒的な作業量と人並外れた「好き」がない限り、WEB業界で突き抜けるのは困難だし
技術を追従しているだけでは、ピラミッドの底辺をぶ厚くして最上層を底上げしている行為にすぎないと感じたのでした。
医療技術はまだ希少性が保たれている
半面、医療技術自体は取得に一定のハードルがある資格職であるがゆえ
その希少性はなし崩しにはなりにくいです。
特に、わたしの担当している業務は
その資格を持っている人の中でも実際に業務をできる人口が少なく、
習得するにも熟練が必要な業務であったことが幸いして
WEB制作で消耗しているより価値があるのかもしれない、と感じたのです。
とはいえ、医療業界、特に病院はゆっくり沈みゆく船だと思っているし
(この記事ではそう思う詳細は割愛しますが)資格には頼りたくないので
いつまでも思考停止してすがっているわけにはいかないなとも思っていますが…
「ここに居ていい」という安心感
医療職に復帰してよかったな、と感じたことは
「ここに居ていい」と思わせてくれる職場の温かさでした。
もちろん、仕事なので嫌なこともありますが
わたしをわたしを認めてくれて、技術面でも頼りにしていただき、
人の役に立てている貢献感と、自分の存在を受け入れてもらえている安心感があるのは
素直にうれしいですよね。
心配していた、複業のことを根掘り葉掘りされるようなことも
今のところないし、仮になにか聞かれたとしても
人として信頼しているので、逃げも隠れもせずに事情を言えるなとすら思います。
結論:
スキルが自分を幸せにするとは限らないが
そのスキルが人を幸せにできる場所はある
全く別の業種で2か所働いてみた結果、
- 自己否定をしなければいけない場所からは離れ
自分を高く買ってくれる場所で生き直す - その技術で「誰かの役に立てる」自信があるなら
場所を変えてみる - 努力を努力と感じず
楽しみながらできることをできれば最強 - 自分が自分であれる場所を大切にする
という思いで、
WEB制作ではなく医療職を続けることを決めました。
相対的に評価が決まることもある
また、その技術は、そこでは「要らない」かもしれませんが
別の場所では価値あるものということも少なくありません。
自分では「自分には何もない」
「この程度のスキルでは役に立たない」と思っている経験でも
少しだけ業界をずらすと、その技術や経験が重宝がられるということもあります。
もしかすると必要なのは、ないものを補うことではなく、
今いる場所を変える勇気かもしれません。
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