元々引きこもりなうえ、
外出自粛とリモートワークが拍車をかけて
人との出会いがほぼゼロになってしまいました。
リモートでお仕事上の取引はいただいていますが、
良くも悪くも、人間的な絡みを必要としないので
人間味のある会話をする機会がめっきり減ってしまいました。
さすがに人嫌いの引きこもりとはいえ、
ここまで人との接点が減ると、さみしいしつまんない。
と、ふて腐れているあまのじゃくです。笑
不快も減ったけど、快も減った
わたしは抽象化された人全般が嫌いなので
人間関係の構築って「嫌いな他人→好きなあの人」というように
知らない人を知ってゆく過程でどんどん好きになっていくものと捉えています。
(同性・異性関係なくね)
「嫌い」がなくなったかわりに
「好き」もなくなった
人との接触を避けて、誰にも会わないということは
「好きなあの人」の存在がなくなってしまうということであり
不快もないかわりに、快もなかなか生まれない。
ということを最近よく考えています。
強烈なモチベーションは
不快から生まれる
自分を磨こうとか切磋琢磨しようというモチベーションって
つまるところは、
- 嫌いな人を回避するためか
- 好きな人ともっと近づくためか
その2つの動機に集約される気がしています。
よほど自分が好きで、放っておかれても没頭してしまう分野でもない限り、
何かをやろうとする時の動機って大体は
不遇や不快を回避して逃げるためか、
好きな人にいいところを見せたいとか、認めてもらいたいとか
そのどちらかだったりしますよね。
人間って単純なものです。
もちろん自分ごとも含めて。
なので、今の外出自粛生活って不快がないのは良いものの
「好きなあの人」がいないことには
自分を磨こうとか切磋琢磨しようというモチベーションも根こそぎ枯れてしまうという。
難しいところですよねぇ。
苦手な人は「必要悪」?
そういう意味では、
苦手な人と一定の割合で接点を持つのも
必要悪のようなものなのかなと思ったりするこのごろです。
嫌いな人から
モチベーションをもらっている
悪気がないかもしれない人を「悪」と言って
こちらの一方的な主観で悪人のように定義してしまうのは
あまりにも身勝手な表現ではありますが…
嫌いな人や苦手な人と関わることで
「ここから逃げたい」とか
「もっとこうすればいいのに」という強烈なアイデアやモチベーションが湧くなら
ある意味、こちらも貰っているものがあるのでしょうね。
実際、ぬるま湯にいるよりもずっと
強烈な変化欲や、生産性のある向上心が生まれるということも
少なくない気がしますし。
結論:必要最低限の不快を
あえて残しておくのもアリなのかも
そういう意味では、不快は完全にゼロにしてしまうより
あえて我慢しうる最小限残しておく、というのもアリなのかもしれないなぁ。
特に、なにも刺激がないと怠けてしまうわたしのような人間には
一定の不快は必要なのかもしれない…
と思ったりしている今日この頃でした。
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