公開日: 2022/02/10  最終更新日: 2022/02/10

こんにちは。
すっかり、月一投稿が定着してしまっていますが
低め安定でぼちぼち続けています。

今日は久しぶりにお金の話を。

お金がない時ほど
物欲が増える

以前、こんな記事を書きましたが

高所得と低所得を両方経験してわかった、 生活レベルと物欲の相互関係。

皮肉なことに、お金がない時ほど
物欲って湧き上がってきますよね…

お金がない時ほど、見栄を張りたくなるし
お金がない時ほど、働かなきゃいけないから時間がなくて
割高なものを選ばざるを得なくなったり(週末や行楽シーズンの旅行料金など)
時間を買う必要が出てくる。

お金が手に入る頃には
買う必要がなくなる

まぁ、結論から言うと
労働価値を高めて自分の時給単価を上げてゆけばよい話ではあるのですが…

いざ自分のスキルや市場価値が高まって、
年収が上がってくると
あれだけ欲しかったもの達が、必要なくなる。
ということも往々にあると思うのですよね。

見栄を張らなくても
既に尊敬されている

お金がない頃は、見栄を張りたかったはずが
高価なブランド品を誇示しなくても、地位が手に入っているから尊敬される。

さらに、
「優秀な人は忙しい」と思われがちですが
時給単価が高いから、短い労働時間で稼ぎ終えることが可能で
(今はフルタイム以外にも働き方は色々ありますからね)
自由な時間すら、実は生み出すことができていたりします。

ギグワーカーとフリーターとフリーランスと副業。なんでも良いけど「会社に守ってもらう」から「会社から自分を護る」にシフトせよ

(お金持ちといっても、
節約の末にまとまったお金が貯まった方もいるでしょうが
ここでは、過剰に浪費さえしなければ、無理な節約をせずに
自然にお金が貯まるくらいの年収の人を想定して書いています)

使いどころのない金持ち
不足が止まらない庶民

つまり、お金を稼げるようになればなるほど
お金を使う必要性が少なくなってくる

もちろん、お金持ちだからこそ税金が増えたり、
セキュリティや身なりに気を配ったりする必要性もあるでしょう。

しかし、大口のお金があることで
手数料が安くなったり、融資が通りやすくなったり
まとまった金額を投資に回したりと、
お金があること自体が、お金や信用を生みやすくなるなど
可能性やメリットの方が大きい気がしています。

不足を埋めるために
搾取される中流・下流層

一方で、
(もちろん自分も含め)不足感を抱えている
いわゆる「普通の人」はというと

不足があるからお金を使うけれど、
お金を使うと、お金の不足が生じるわけで
それを埋め合わせるために働くと、時間が不足して
人に揉まれながら働くことで、コンプレックスを刺激されて、消費せずにはいられなくなる。

こんな、永遠の不足のスパイラルに陥っても
無理もないよなぁと思うのでした。

富める者はますます富み
貧しい人はジリ貧になるジレンマ

お金がない人は消費が止まらず
そのお金はというと、お金がある人のもとに流れている。

それに比べて、お金と地位が手に入ると
ステータスの誇示やら名声にお金をかける必要がなくなる。
お金を使う必要性がなくなり
元々あるお金が、(使いどころが少ないので)ますます貯まりやすくなる

お金があると、消費する必要性が少なくなり
お金がないほど、消費に迫られる、という資本主義のジレンマ。

こんな仕組みなら
富める者はますます富み、
貧しい人はどんどんジリ貧になって
格差が拡大していっても、無理もないですよね。

庶民がお金を貯めるには
どこかで無理しなきゃいけない

給料を上げるといっても
他人から評価されたり、スキルをつけるのはそう簡単ではありませんから
生活を切り詰めて節約するとか、
人目を捨てて(いつも同じ服、とか)ミニマリストになるとか
どこかで無理をすることになるわけで。
(好きでミニマリストやっている方は別ですが)

まとめ:無理ゲー化した資本主義
富の一点集中は根本を変える必要がある

じゃあこうしたらいいよ!
というオチがあるわけじゃないのですが…

かと言って、
「悔しかったらステージを上げる努力をすればいい」
という、もっともらしい正論を使って、不毛なラットレースに放り込むのは
もはやブラック企業の常套句でしかないわけで。

今までのやり方の延長上には
やはり、富の一点集中しかないと思うのです。

資本主義は勝者総取りゲーム

この、「一点集中」というのが厄介で
勝てるのはあくまで限られた少数のみで
「敗者」が大量に出るということです。

そして、そこに「敗れた」人は
自分の力が発揮できる場所や対価がないことに
自分が生きる価値自体を疑ってしまっても、無理もありません。

「普通の人」が
普通に力を発揮できる場所

いわゆる中流や下流の人でも
既に勤勉で努力家な人はたくさんいて
報われていない人が多いのも事実だよなぁとすごく感じます。

もっと言うと、今働けていない人でも
ポテンシャルを持っている人はいるはずだなと、よく感じるものです。
(例えば、おしゃべりな人はコールセンターや接客など…)

少なくとも、お金持ってて何もしてない昭和頭のおじさんより
今のトレンドも知ってるし、体力もあるでしょう。笑

特別なスキルより
普通に働けることのほうが重要

そして、人を採用する側って、特別な人材ばかり欲しがりますが
ほとんどの業界って、そこそこ普通に仕事をこなしてくれれば成り立つじゃないですか。
(むしろ、突飛なことをやらかさないほうが大事だったりする)

そういう、普通の人の力が適切に発揮できて、適切な対価を貰える場所とか
多くを求めず地方で暮らすとか
そういう、根本的な改革や回帰がそろそろ必要ですよね、って話です。

富や幸福感は
居場所づくりから

それから、大体の欲求不満や不足感って
「寂しい」から来ているものです。

前述した「尊敬されれば誇示する必要がなくなる」もそうですが
肥大化した消費欲も欠乏感も、所属欲求が満たされると
案外あっさり落ち着いたりするもの。

ベストセラーになった「嫌われる勇気」でも、
特別なそんざいではない、ごく普通の自分が
「ここにいていい」と受け入れられる所属感の重要性について書かれています。

嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え

そういう意味でも、今本当に必要なのは
どこよりも高額な年収よりも、ブランドよりもまず、
自分を受け入れてくれる「居場所」なのではないでしょうか。

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