ここ数年、
個人でもマネタイズされる方が増え
わたし自身も事業を経営していて時々思うのが
「人と関わるのにお金が要る」ということ。
これ、お金がない時は
お金からも世間からも見放されたようでかなりしんどいですし
わたしも今でも時々そんな空虚の底に落ちることはあります。
逆に、いざお金を受け取る立場になると
「人には好かれるのに、お金にならない。
自分には価値がないのではないか」ということで悩みがちです。
しかし、実際に自分の足とお金を動かしてみると
たった1日、たった一瞬で昨日までと景色が変わった、ということを何度も経験してきて
(言うまでもないけど、スピリチュアル的なのを受けるとかではないですよ)
現状を動かすには、行動とお金ありきなんだなぁと度々思うのです。
人と関わるためにお金が要ることの是非
払う側としてもそうですし、いただく側としても
自分と直接関わる際には、その対価の一つとして
お金のやりとりを発生させるように意図して構成しています。
(逆も然りで、感動したり、お礼を伝えたいときは
お金だったり、相手のメリットになることを考えて与えるようにします)
これには少なからず賛否いずれもあるでしょう。
が、あくまでわたし個人の考えとして、
わたし個人の意志としては、公私ともにその方針をとっています。
プライベートな関係ほど図々しい依存関係になりやすい
「プライベートでもお金取るの?!」という声が聞こえてきそうですが
実際に金品を授受するか否かは別として、
実際に悪気なく時間や善意といったリソースを奪うのは
こうした身近で「当たり前」に存在する友人や身内であることがほとんどだからです。
まぁ、多少はお互い様の助け合い精神ですが、
その自覚なく平気で人のリソースを奪う人ほど「プライベートでもお金取るの?!」と言ったりするものですよね。
つまり、「お前のものは俺のもの」、友人や身内のリソースはタダで使い放題だと思っている人たちですね。
もちろん身近な人すべてがそうとは言いませんが
ですから、そういうお金をやりとりすることにやましさを感じる人には、
非難して去ってもらった方がかえってありがたいのです。
お金を介した人間関係で気が付いたこと
「人と関わるにお金を介する」というのは、一見ドライなようで
すごくクリーンな関係だということに気が付きました。
というのも、実際、わたしがお金をいただく側になった時も
払う側になったときも、そのたびに思うのですが
不思議なことに、お金のやりとりがあると責任感が生じるためか、
そうでない「無償の関係」より関係性にも誠意が増した気がするのです。
お金を介して発生したものは
損得の奪い合いではなく、責任だった
イメージ的には逆ですけれど
お金を介した個人間に生じるものは、損得の奪い合い、ではなく
意志と責任感でした。
つまり、どこかピリッと張り詰めたものがお互いの片隅に残っているので
馴れ合い、もたれ合いの依存関係になることを避けやすい。
情任せにならず、
お互いのに選び断る権利がある
お金をいただいた側には、払った側の期待に応える責任感が生じるし
かと言って、お金という数値化されている以上、できないことや目に余るものを線引きしやすく
「お金を受け取らない」というアクションで、関わり自体を断る権利もあります。
お金を払った側は「お客様は神様」になるかというとそうではなく、
どちらも選び選ばれているという、任意の関係です。
いつも良くしてくださる「お得意様」には
こっそりサービスを上乗せしたりもできますしね。
お金を介さない、信用や感情任せの関係であれば
「断る=非情」とか「嫌いになった」みたいにされやすいですけれど
その選択一つひとつに、毎回双方の意志が問われるわけで、
任意の「契約更新」がしやすいのです。
言い換えると、不満があれば
「買わない」「売らない」という選択をもって、離れることができます。
(「売らない」の線引きができない八方美人の販売者は、そもそも個人の自営業には適さないと思います)
お金が有志の参加権になる
「人と関わるためにお金が要る時代」
という見方をするとシビアかもしれないけど、
言い換えるとお金って
その人の人生に参加する権利なのかな
って思ったりもします。
あくまで権利で、義務ではない。
参加してみて合わなければ、やめても文句なしで
好きになったら、もっと関わり合うこともできる。
信用という「配当」が残る
そして、一抹の緊張感を持って関わり合うことができるからこそ
お金をいただく側はサービス向上に努めることができるし
お金を払う側も、マナーを守る努力をする。
その、有志の関係を繰り返すことで
信用とという「配当」が残る。
それって、お金を稼いでも何も残らなかった歯車従属生活よりも
よほど人対人の温かみがあるような気すらします。
お金を介する人脈には建設的な可能性がある
そういった、仕事が同じだからとか
住む地域が同じだからみたいな、従来のしがらみではなくて
有志でつながり合うクリーンで建設的な関係を築く手段としての可能性を持っているのなら
お金を介して人とつながる「一億総自営業者」は、
利己主義でも冷酷でもない、面白い将来展望を持っているのではないかと思うのです。
あ、そう思わない人もいるとして
「総」ではなくて、5分の1くらいでも十分かもしれませんね。
「あなたのために」を拡大させる
これって、相手が無機質な「会社」ではなく「人」だからこそであって、
買う側も売る側も、「相手のために」というある種の緊張感を持っていてこそ生じるもの。
平成の時代は、おもてなしは無料で当たり前についてくるという過剰な期待が生まれた結果、
「クレーマー」や「モンスター」が話題になりましたし
わたしも医療従事者や接客業をしていて、人を人とも思っていないような態度の人にたびたび遭遇してきました。
(逆に、機械的な対応しかしない冷たい店員さんもいますよね)
これからは、効率化や規模至上主義の時代から「個」へ、良い意味で逆行していき
善意や人柄を含めたリソースが価値を持ち、最適配分されるのであれば
そんな未来も悪くないんじゃないかなと思うのでした。